25年の無法時代

【25年の無法時代】

Chihiro Sato-SchuhさんのFBより、転載。

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3月24日は、1999年にNATO軍がベオグラードを爆撃して25周年だということで、このことについての情報がいろいろと拡散されていた。当時は、セルビアコソボアルバニア人を攻撃しているというような話で、セルビア人が悪者にされ、NATO軍の攻撃は、コソボを守るために必要だったというようなことが、西側主流メディアでは報道されていて、ほとんどの人たちはそれを信じていた。

この爆撃は78日間続き、第二次世界大戦後、ともかくも平和を保っていたヨーロッパで起きた、最初の大きな国際紛争だった。24日の20時に、国連決議も宣戦布告も最後通牒も何もなく、いきなりセルビアの首都が無差別爆撃された。NATOの戦闘機150機が出動し、78日で37000発の劣化ウラン弾が投下されたそうだ。

コソボアルバニア人が弾圧されているというのが事実だったとしても、これは明らかに不法な攻撃だった。外交的手段による解決が提案されないままに、いきなり他の国の都市を爆撃するなんていうことは、許されることではない。セルビアNATO諸国を軍事攻撃したわけではないし、NATOにはセルビアの内政に軍事的に介入する権限などはどう考えてもない。市街のインフラや民間人を攻撃するのは、いかなる状況でも戦争犯罪だし、ましてや禁止されている劣化ウラン弾を使うなど、実に悪質な犯罪だ。

ところで、このコソボアルバニア人セルビア人が弾圧しているというのも、実は作られた話でしかなかったらしい。当時すでにユーゴスラビアはバラバラに分裂して、内戦があちこちで起こっていたのだけれど、それは、ソ連崩壊とシンクロして起こっていた事態だった。ソ連崩壊というのも、つまりはソ連が東西冷戦の軍備競争に負けて破産したために、西側諸国に乗っ取られる形で起こった内部分裂だった。ソ連が分裂状態に陥ったために、ユーゴスラビアも西側の分裂工作にさらされることになったのだ。

ユーゴスラビアも、ロシアと同様に、さまざまな民族が同居する多民族国家だった。宗教もロシア正教会カトリックイスラム教を信じている人たちがいた。アメリカの諜報機関は、支配しようと思う国で内部分裂を起こすために、反政府派を支援し、組織し、武装させたりもするようなことをしてきたことで知られている。そうしたことを、ソ連崩壊後のユーゴスラビアで行なったのだ。それで、それまで平和を保っていたさまざまな民族が敵対し、たがいに攻撃し合う状態ができてしまった。

ところで、セルビアNATOに攻撃されることになったのには、実はNATO加盟をめぐる背景があった。ベオグラード爆撃が始まった3月24日の12日前に、ポーランドチェコハンガリーの3ヶ国がNATOに正式に加盟した。セルビアは、NATO加盟を拒否したのだ。すると12日後に、とつぜん首都がNATO軍に爆撃されるという事態になった。

ソ連が崩壊して、東西ドイツが統一したときに、もう東西の対立関係はなくなるのだからということで、ソ連は東欧圏から軍隊を撤退させた。そのときの条件が、NATOをこれ以上東に拡大しないということだった。東西の対立がないからというのでソ連が軍隊を撤退したのだから、撤退したあとに西側の軍事ブロックが代わりに来るなど、裏切りもいいところだ。ところが、ソ連が撤退するや、NATOは東欧圏に拡大し続けていったのだ。

ベオグラード爆撃の事態を見るならば、東欧圏の国が次々とNATOに加盟していったのも、東欧諸国が自ら望んでのことではなかったのだろう。拒否すれば、内紛を起こされたり、独裁国家だという話を作られて、攻撃されたりするハメになるわけなのだから。ソ連がまだ健在で、東西冷戦の状態が続いていた間は、ともかくもNATOが一方的に攻撃するなどということはできなかった。それで、第二次世界大戦後のヨーロッパでは平和が続いていたわけだ。ところが、この均衡状態が破れたことをはっきりと示してしまったのが、25年前に起こったベオグラード爆撃だった。

そして、1999年のベオグラード爆撃の後は、アフガンとイラクへの爆撃があり、リビアでもシリアでも、同様なことが起こった。独裁国家だとか、生物化学兵器を所有しているだとか、テロを行なったとか、そのたびにいろいろな話が作られて、それを口実に市街への爆撃が正当化された。そうした口実は、のちに事実ではなかったことが判明するのだけれど、それで裁かれるわけでもなく、謝罪や賠償があるわけでもない。そうした事実は、単に無視されて、存在していないかのように扱われていったのだ。

NATO軍がこうした攻撃を行うことが、世界秩序を保つために必要だという話になっていて、それが現在まで続いている状態だ。NATOに逆らえば、独裁国家だとか、危険な国だとかいうことにされて、経済制裁をかけられたり、軍事攻撃されたりするわけなのだ。それを西側諸国は「民主主義と自由のために」と言っているのだけれど、アフガンでもイラクでもリビアでも、国がボロボロに破壊されたばかりで、民主主義も自由も何もありはしない。それを見れば、民主化のためなどというのは、まったくの口実でしかないことがよくわかる。NATOは国を破壊して乗っ取るために、攻撃していただけなのだ。つまり、あからさまな侵略戦争だ。

25年前のベオグラード爆撃で、NATOがやりたい放題にできるということが、証明されてしまったのだ。ソ連崩壊後、もはやNATOに対抗して介入してくる国もなく、批判してくる国もないということがわかってしまった。当時、ロシア大統領だったエリツィンは、西側に腐敗させられて、言うなりになっていたけれど、ビル・クリントンセルビア攻撃を計画しているという情報が入ってきたときには、アメリカを止めようとして、世界に呼びかけさえした。しかし、西側諸国に食い物にされて経済もボロボロに崩壊していたロシアは、呼びかける以上のことはできなかったのだ。

エリツィンプーチンを首相にしたのが、その年の8月で、12月には辞任して、プーチンが大統領代行することになったのは、このベオグラード爆撃で何もできなかったということから来ていたのかもしれない。エリツィンはその頃アルコール中毒で、職務を果たせるような健康状態ではなかったのだけれど、そうなったのも、それなりの理由があったからなのかもしれない。

いずれにしても、プーチンが政権に就いてから、ロシアは西側による腐敗を一掃して経済を立て直すと同時に、NATO諸国の政治家たちと交渉して、ロシアに対する敵対関係を解消しようとした。ビル・クリントンには、ロシアがNATO加盟することを持ちかけさえしたし、ブッシュ・ジュニアとは、共同のミサイルシステムを開発することを提案したりもした。そのどちらも、当人たちは賛成していたのに、「チーム」の反対で拒否された。このことは、NATOが安全保障のための機関ではなく、ロシアを攻撃するための機関だったということを示している。ロシアの内外で紛争を起こして弱体化させ、やりたい放題の状態を作るための機関だったのだ。

プーチンが政権に就いてから、ロシアがアフガンやシリアの紛争に介入するようになり、NATOは再びやりたい放題にはできなくなってきた。プーチンNATO諸国に独裁者扱いされる理由は、まさにここにあるのだろう。それでロシアは経済制裁かけられたり、チェチェンで内戦を起こされたり、モスクワでテロを起こされたりした。また、かつてのソ連だった国が次々と反ロシア政権にされていったりもした。2014年のクリミア併合と2022年のウクライナ軍事介入は、まさにそうした状況から起こっていたことだった。

だから、2022年2月にプーチン政権がドンバスへの軍事介入を決めたとき、それは単にドンバスのためだけではなくて、NATOがやりたい放題の無法状態になっていた世界に、公正さを取り戻すためでもあったのだと思う。あのときのスピーチで、プーチン大統領は、ロシアは世界に対する責任を負っていることも意識している、というようなことを言っていた。あのときは、どういう意味で言っていたのかよくわかっていなかったけれど、今なら、それがどういう意味だったのかがよくわかる。

この2年間で、世界で起こる戦争がどのように作られていくのかを、私たちは見せられていたのだ。それで、これまでの戦争が何だったのか、東西の対立とは何だったのかが、少しずつ解き明かされていったようだった。

だから、2022年の春に、ロシアのラブロフ外相が、一極支配が終わったと宣言したのが、どういう意味だったのか、今ならよくわかる。ドンバスでの軍事介入が成功したこと、経済制裁によるロシア経済の崩壊を回避したことで、NATOがやりたい放題の無法状態についに終わりになったということなのだ。その後、アラブ諸国が西側諸国の言うなりにならなくなり、作られていた分断状態を解消して、結束してしまった。アフリカでは、ニジェールでフランスの傀儡政権がクーデターで倒されたけれど、NATOは介入してこなかった。そのことで、アフリカはもはやNATOを恐れなくなってしまった。

昨年10月にパレスチナイスラエルの間に紛争が起こったけれど、そのことに関しては、もはやイスラエルを支援している西側が世界中から非難されている状態だ。これまでは国連決議でも、多くの国はNATOを恐れて、西側の言うなりに評決していたけれど、もはや世界の多くの国は、NATOを恐れなくなったのだ。

このところ、もはやロシアを止めることができないのが明白になったからなのか、モスクワのコンサートホールで大規模テロが起こされたり、いろいろとひどいことが起きているのだけれど、一方では、パレスチナの停戦決議がついに国連安保理で可決されたり、国連人権委員会ウクライナ軍によるロシア兵への不法な虐待についての報告が公開されたり、バイデン一家の犯罪を証拠づけるラップトップの内容を示す630ページの報告書が公開されたりといったことも相次いでいて、世界は再び無法状態から抜け出そうとしているように思える。

これまでの25年間、世界は無法者の言うなりにさせられてきて、誰もそれに対抗できる者がいない状態だったのだ。それが2022年2月のロシアのウクライナ軍事介入によって変わり始め、徐々に世界は公正さを取り戻していっているようだ。闇が強くなれば、光も強くなる。25年前のベオグラード爆撃が、闇が最も強かったときに起こったことなのだとすれば、それと同時にすでに光が生まれて、成長していっていたということになる。

あまりに無法なことが当たり前になってしまっている世界に絶望感を感じはするけれど、しかし闇が最も強かったときに、闇の存在に気づきもしていなかったことを思うならば、今、闇の深さに気づいているということ事態が、世界がすでに闇から脱しようとしているということを意味しているのだ。