【情報封鎖が突破された】

【情報封鎖が突破された】

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タッカー・カールソンのプーチンのインタビューが公開されてから2日ほどした頃に、ロシアのテレビ番組で、「このインタビューは、西側の情報封鎖を破った」と報道されていたそうだ。Xで公開されたこのインタビューは、たった一日で1億6千回以上も再生され、これはアメリカで最も視聴率の高い番組よりも、何倍も高い。しかも、このインタビューがアメリ東海岸タイムの18時に公開されてから、CNNの視聴率がいつもよりぐっと低下したそうだ。CNNは、コロナの報道の頃から、もうすでにずいぶん視聴率が下がっていたようなのだけれど、ということは、まだCNNを見ていたアメリカ人でさえも、プーチンのインタビューを見たということになる。

ロシア大統領報道官のドミトリー・ペスコフが、テレビのインタビューに答えて、「このインタビューで、アメリカの普通の人たちに、ロシア側の情報が伝わったのは、いいことだった」と、これまで見たこともないくらいに輝いた顔をして言っていた。まるで、戦闘で敵の包囲網をついに破った、とでもいうような顔の輝かせ方だと思った。情報戦は第二の前線だ、とロシアでは言っていたようなのだけれど、
このインタビューは、まさに最も強固な包囲網に、最初の決定的な風穴を開けたというようなものだったと思う。

これまでも、独立系のジャーナリストたちが、ロシアの情報を命がけでレポートして、テレグラムなどで西側諸国の人々に流していたから、そういう情報を追いかけている人たちは、ロシアの本当の状況を知っていた。その下地があったところに、タッカー・カールソンみたいに有名なジャーナリストがインタビューを公開するとなって、普通にテレビを見ていた人たちまで、このインタビューを見たのだ。これはまさに、アメリカで情報操作をしていた人たちが、最も防ごうとしていた事態だった。

インタビューの直後、カールソンは、クレムリンの控室でコーヒーを飲みながら、最初の動画メッセージを出していた。そのときはただ、インタビューは予想外の展開だったということ、プーチンは西側がロシアを受け入れなかったことを怨んでいるようだということくらいしか言っていなかった。まだ自分の中でインタビューの内容が整理されていない。これを完全に理解するには、まだ時間がかかるだろうと。

インタビューの内容は、ロシアの情報を追っていた人たちには、ほとんど何も新しいことはなかったけれど、カールソンはやはり情報封鎖の壁の向こう側にいた人だったらしい。インタビュー直後は、まだすべてが新しすぎて、一種のショック状態だったようだ。これまで知らされていたようなこととは、まったく違うようだということはわかったものの、それが本当なのかも、それが何を意味するのかも、まだはっきりつかめてはいない、という風だった。

その後、ロシアのテレビ局のインタビューか何かで、モスクワのどこかからの動画メッセージが出ていて、そのときは「ロシアは領土を拡大しようとなんかしていないんだ。ロシアが侵攻してくるだなんて、そんなことを言うのはまったくバカげている」と言っていた。

「ロシアはこれだけの広大な領土があり、たくさんの民族がいて、言語も宗教もさまざまで、一体どうやって治められるのかもわからない。これでどうしてポーランドを占領したいんだ? 一体何のために? 資源なんか、ロシアにはいくらでもある。ありあまるくらいだ。あのヌーランドの大嘘つきが、ロシアがヒトラーだとか軍国主義大日本帝国だとかみたいに、宣伝したんだ」そう語っていたのだ。そのときのカールソンの顔は、真実を知って驚いている人のように、目が大きくなっていて、澄んだ光を放っていた。

あのインタビューの内容が、じわじわと浸透していっているのだ。カールソンの中で、ロシアに対する意識が刻々と変わっていっている。そしてそれと同時に、カールソンを追っているアメリカの人たちもまた、意識を変えていくのだろう。そのプロセスがまさに起こっているのだ。大統領報道官のペスコフのあの顔の輝かせ方は、このことを意味していたのに違いない。第二の前線である情報戦で、ついに包囲を突破したということ。たった一箇所でも、包囲を破ったら、あとは時間の問題だ。第二次世界大戦で、レニングラードの包囲を突破して、街をついに解放したときと、同じようなプロセスだ。最初の突破口ができたら、それを広げていくのは、はるかに容易なのだ。

このときの動画メッセージでは、カールソンは、ロシアがウクライナと停戦協定を結びたいと考えていることに驚いた、と言っていた。彼は、西側のメディアや政府が言っている通りに、ロシアは停戦するつもりはなく、ウクライナ全体を占領し、ポーランドまで侵攻しようとしているのだと思っていたらしい。「あるいはプーチンが嘘をついていたのかもしれないけれど」と言いながら、しかし、プーチンは何度も和平交渉のことを言っていたし、イスタンブールで行われた2022年3月の交渉では、すでにウクライナの提案を承諾していたという話もしていた。それを、イギリスの当時の首相ボリス・ジョンソンが、停戦するなとウクライナを説得して、すべてはおじゃんになったのだと。

そして、ロシアがクリミア半島ウクライナに返還するなんて、そんなことを考えるのは、頭が狂っている、とも言っていた。クリミア半島は、もともとロシア人が住んでいた土地だし、住民投票で併合されたんだからと。ヌーランドはプーチンを降ろせと言ったけれど、あれだけの大きな国を弱い指導者が治めたりしたら、それこそ核戦争が起こる、とも言っていた。ガダフィを殺したあと、リビアはどうなったのか、フセインを殺したあと、イラクはどうなったのか、あれと同じことがロシアみたいな核兵器保有する大国で起こったら、それこそ大変なことだ、と。

その後、カールソンは、ドバイの政治イベントでスピーチしていたけれど、そこでは、モスクワの街はとてもきれいで安全で、食べ物もサービスもすばらしく、あんな快適な街は、アメリカには一つもない、と言っていた。これは政治力の差を示すものだと。ニューヨークの地下鉄は、治安が悪いし、汚いし、使わない人も多いけれど、モスクワの地下鉄はまったく違う、と。

多くのアメリカ人は、90年代のモスクワのままだと思っているのかもしれない。薄暗くて煤けていて、寂れていて、治安が悪い街のままだと。カールソンは実際にモスクワの街を歩き、地下鉄に乗り、スーパーで買い物したりもして、これまで思っていたロシアのイメージが、ガラガラと崩れていったのかもしれない。ロシアはもはや貧しい共産国ではなく、独裁的な国でもないのだ。

そして、ドバイでもまた、ロシアにクリミア半島を返還させようなんて気狂いじみているとか、ロシアは平和的に交渉する用意があるのに、西側が何度も壊したのだということを、興奮した調子で語っていた。そのときは、モスクワで語っていたときのような、懐疑的な調子はもうなくなっていた。ロシアは平和的な関係を望んでいて、交渉に応じる用意があるのに、NATOがあくまでロシアと敵対して、追い詰めてきた結果、今のウクライナの戦争になったのだということに、すっかり納得しているようだった。

このときには、ロシアにはアメリカよりも多くの検閲があるけれど、とカールソンは言っていたけれど、もう少し長くモスクワにいたら、ロシアでは言論弾圧をしていないということにも、納得するのかもしれない。実際、ロシアではアメリカのCNNでさえ見ることができ、そういう情報を信じて、反戦運動をしている人たちもいるくらいだ。一方、アメリカでは、ロシアのメディアは一切排除されていて、動画もたちまち削除されている。検閲が多いのは、アメリカの方なのだ。

ロシア大統領報道官のペスコフは、アメリカ人はとても閉鎖的な国民で、外国のことをまったく知ろうとしないと、テレビのインタビューで言っていた。だから、カールソンのインタビューは、普通の閉鎖的なアメリカ人に、外国のことを知らせる機会になったのではないかと。アメリカ人が、外国のことを知ろうとしないというのも、メディア操作で作られていた状況だったのかもしれない。世界で最も国際的な影響力の強い国の人々が、外国のことを知ろうとしていないとは、考えてみたら実に奇妙なことだ。まさにそうした状況こそが、戦後のアメリカの覇権主義的な世界支配を可能にしてきたのだろう。一般のアメリカ人たちは、何も知らされないままに、税金のかなりの部分を、外国での残虐行為に使われていたのだから。

独立系メディアですでにロシアのことを知っていた人たちがいて、そこにカールソンからの情報が入ってきたとき、オセロの駒のように、それまで少数派だった方が、たちまち多数派に変わってしまうようなことも、起こるのかもしれない。あの歴史的なインタビューのあとで、カールソンがモスクワから、そしてドバイから、刻々と変化していく見解を語っていくのを見ていて、そのプロセスをまさにリアルタイムで目撃しているような気がしている。