【グローバル化が壊したもの】

Chihiro Sato-Schuh さんのFBより https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02pkvr7E4phsCPNkQnTrQ7hadKe3dvhE4oeujVYUeHnyizhXZWRFW9Qg2KpwikD2mSl&id=100000165488492

【グローバル化が壊したもの】

もともとはどこの国でも、生活に必要なものはほとんど地元で生産していた。だからこそ、それぞれの土地にそれぞれの生活スタイルがあり、多様な文化があったのだ。経済のグローバル化は、そうしたものをすべて壊してしまって、どこも同じようにしてしまった。労働力が安いどこかの国で大量に生産されたものを、皆が使うようになり、地域の独自性などというものは消え去ってしまったし、それによる環境破壊も、止めようがなくなってしまった。

EUになる前のオーストリアは、まだ地域でかなりのものをまかなっていて、農家の人たちは何でも自分で作っていた。主婦たちは、菜園を作って家族が食べるものを栽培し、ハーブを育てて、ちょっとした病気やケガは家で手当して治していた。ケーキも自宅で作るのが当たり前で、クリスマスのお菓子を買う人なんて、まずいなかった。それは家で作るものだったから、だいたい売ってもいなかった。それが、EUになってからのこの20年ほどで、すっかり変わってしまったのだ。

オーストリアでは、クリスマスのお菓子はケーキではなくて、いろいろな種類のクッキーだ。もともとはレープクーヘンという香辛料入りのライ麦のクッキーをいろいろな形に作っていたのだけれど、それ以外にも種類が増えていって、何十種類も作っている家もある。オーストリアの家では、それがクリスマス前の行事で、家族全員が総出でクッキー作りをしていたりした。

それがこの20年ほどで、いつの間にかクリスマスのクッキーが店で売られるようになり、それを買って済ます家が増えていったのだ。そのうち、自作する人の方が少なくなり、スーパーで大量生産したクッキーが、クリスマス前に大量に消費されるようになった。店で安価に変えてしまうので、わざわざ自作しようという人も少なくなっていったのかもしれない。家族もそれぞれの職場とかサークルとかのクリスマスパーティで忙しくなって、家で祝うクリスマスも貴重なものではなくなっていった。

クリスマスのクッキーは、一つ一つ手作りで型抜きし、デコレーションして手間をかけているからこそ貴重なものなので、年に一回だけ作るものだった。それが工場で大量生産されて、スーパーで買えるようなものになったら、とたんにつまらなくなってしまった。いつでもどこにでもあるような、ありきたりのものになって、一年中が同じようになってしまった。

産業資本主義経済では、お金を稼げる人が経済的に自立している人だということになるのだけれど、それこそは、お金に依存する生活へと人々を誘い込む罠だったような気がする。専業主婦などは、経済的に自立していないから、解放されていない女性たちだという風に、言われるようになった。だけど、もともと主婦たちは、生活に必要なものをすべて作り出していたのだ。庭で野菜を育て、季節の野草を摘んで、一年中のジャムもコンポートも酢漬けの瓶詰めも皆作っていた。家族が着る服やカーテンやベッドカバーなども、主婦が縫って作るのが当たり前だった。羊毛を紡いでセーターや靴下を作ったりもしていた。

そういうことが、すべて価値のないことのように言われて、専業主婦は「何もしていない」ように思われるようになったのだから、実に不思議なことだ。主婦の仕事などは、誰でもできるようなことだと言われて、専業主婦たちは、何だか恥ずかしそうに「私は何もできないから」と言うようになりさえした。それで、主婦たちは家事をするよりも、外で働いてお金を稼ごうとするようになり、料理やお菓子も自作する代わりに買って済ませるようになっていったのだ。

驚いたことに、オーストリアの民族衣装さえも、EUになってからは、大量生産の既製品に取って代わってしまった。前は、民族衣装といったら、女性たちが自分で縫うものか、あるいは仕立て屋で注文して仕立ててもらうもので、一着作ったのを一生大事にして、結婚式にもお祭りにも着ていくようなものだった。だから、生地にしても仕立てにしても、職人技のいい品物だった。それが、経済がグローバル化していく中で、工場が労働力の安い国に移ってしまい、安い既製品が大量に売られるようになったのだ。民族衣装も、もともとあった価値を失って、どんどん使い捨てにされるようなものになってしまった。それでこの頃、お祭りのときなどに、安っぽい仕立ての身体に合っていない民族衣装を着ている人をたくさん見かけるようになった。

服がどんどん使い捨てにされていくのが嫌だったので、私は20年くらい前から、もっぱらセカンドハンドの服ばかり買うようになっていた。海外支援団体が古着を集めてアフリカに送っていたのが、断られるようになったので、国内で売るようになり、寄付された服を売るセカンドハンドの店があちこちにでき始めていた。とにかくお金さえまわればいいというので、質の悪い衣類を大量に生産して、使い捨てにさせた結果だ。価値のない服だから、次々使い捨てにされ、ゴミばかりが増えていくことになる。セカンドハンドの店で循環していくのなら、まだいいようなものだ。それでそういう古着をもっぱら買うことにして、新しい服を買うのはやめた。

4年前に奇妙なパンデミックが始まって、ロックダウンになったら、消費生活が急に消えてしまい、いかに私たちが消費に依存状態になっていたかがよくわかった。本当には必要もなかったのに、次々新しいものを買っていなければいけないような気がしていたのだ。そうしていないと、ちゃんとした生活を送っていないかのように思い込んでいた。ところで、ロックダウンになって、お店をあれこれ見てまわることができなくなったら、そんなことに時間と労力とお金を使っていたのがバカバカしくなった。

その頃から、服を買う代わりに、古物で自作するようになった。近所の人にもらった古物のベッドカバーやタオルがあったので、それで直線裁ちの服を手縫いしてみたら、それが面白くなった。すると、もう買った服などはつまらなくなってしまった。

民族衣装というのは、だいたい直線裁ちのデザインになっている。布まで手織りにしていた人たちは、パターンで裁断するような、布を無駄にするようなことはしなかったのだ。ギャザーを寄せたり、折りたたんだりして、身体に合わせるようにできている。だから、直接身体に合わせて長さを決め、布を裂いて、縫い合わせていく。こうした服の作り方をしていると、服を着るということが、もうまったく違うものになっている。大量生産の既製品を着るのは、できている形の中に身体を合わせているようなのだけれど、直線裁ちの服を身体に合わせて作っていると、服の方が身体に合うのだ。それは、買った服では絶対に味わえないような、不思議な着心地のよさで、その快適さを知ってしまうと、もう買った服など着る気がしなくなってしまう。

かつて、家族の着るものをすべて縫っていた主婦たちは、実に創造的な生活をしていたのだということに気づく。何でも作れるとなると、お金を使う必要もなくなり、だからお金を稼ぐ必要もなくなる。経済がどうなろうと、自立的に生活していられるのだ。一人一人の身体に合わせて、ポケットをどこにつけるとか、おそろいの帽子を作るとか、何でも自在にできる。着なくなったものは、解いて別なものに仕立て直したりできるので、捨てるものもない。そうした暮らしが、いつからか貧乏くさいなどと言われるようになったのだけれど、やってみると、貧乏くさいどころか、これほど豊かな暮らしもないということがわかる。ものを無駄にしない生活こそは、実は最も豊かな暮らしなのだ。これは、やってみないとわからないかもしれない。

人にしていることと自分にしていることは同じだ、ということがあるけれど、物についても同じなのだと思う。物を使い捨てにしていると、私たちは自分自身を使い捨てにしてしまうのだ。物にお金の価値しかないと思ったら、新しいのを買って使い捨てにする。それと同様に、自分の時間を切り売りしていると、自分には稼ぐお金の価値しかないように自分を扱っていることになる。そんな風にして、時給いくらでお金を稼いできて、大量生産の安い既製品を着ていると、いったい何のために生きているのだか、だんだんわからなくなってくる。自分は何をしに生まれてきたのかもわからなくなってくる。

ヨーロッパは、この4年ほどの間にも、経済がどんどん破壊されていっていて、いったいどこに向かっていくのだかもわからない。グローバル化が行くところまで行った結果なのかもしれない。大量生産の品物を使い捨てにするような時代も、もう終わるということなのかもしれない。

経済が崩壊したならしたで、私たちは自分でものを作って生活していくこともできる。もともと人間は、その土地にあるもので、生活に必要なものは皆作っていたのだということを、思い出すべきだ。伝統文化の中には、そのノウハウのすべてがある。そして、それこそは創造的で個性的で、豊かな生活だったのだということに、私たちは気づくのかもしれない。多極的で多彩な世界とは、そのようにして生まれていくのだ。それぞれの土地で自立的に生きていこうとする人たちが、自ずと作り出していくようなものなのだと思う。

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画像は、古物リメイクで作った服。ニットのワンピース、レギンス、パッチワークのマント。